鞆の浦の景観問題  風景は誰のものか

  数年前、鞆の浦を訪れました。宮本常一の「私の日本地図」を携えて。このシリーズには、昭和30年代の懐かしい風景がおびただしく記録されています。しかし、今日の鞆の浦は、全国津々浦々にある観光地と同様、すっかり様相が変わっていました。毎日の暮らしや生活の利便から、港の風情は激変しています。昔ながらの常夜灯や雁木などの施設、古い街並みがかろうじて残っている程度です。貴重な景観といえども、日々の暮らしのためには壊して当然という風潮が、ここにも感じられます。
  宮本常一は半世紀近く前に、鞆について「この町の古き日の繁栄がしのばれるとともに、それが現代にうけつがれなかったことに限りないさびしさをおぼえる」(私の日本地図 瀬戸内海Ⅱ 芸予の海 昭和44年 同友館 74ページ)と、深く嘆いているのです。
  地元の特産の土産物を売る店の人ですら、新しい架橋に期待を寄せている素振でした。これまでにも伝統的な港湾風景は、すっかり便利で洋風あるいは近代的に改築されています。岸壁や防波堤、和風民家もコンクリート造りに取って代わりました。町並みも伝統的な民家建築がわずかに残されているほかは、現代風に建替えられています。それは鞆の浦に限らず、この半世紀の間、日本列島の隅々に当然至極のこととして繰り返された開発の姿です。

▼景観の価値  
そうした開発の際、大多数の住民たちにとって、伝統的な景観の価値はほとんど配慮されません。日常的に目にしている景色に、貴重な価値があると認識することも稀なのです。それが、より便利な快適な生活の代償として失われたとしても、歓迎こそすれ喪失感はありません。経済性や近代化の恩恵といった具体的な利益の前に、古くさい不便で見栄えのしない景観など、一向に見向きもされてこなかったのです。それよりもずっと前に、多くの住民たちは遅れて不便な故郷に見切りをつけていたのです。
鞆の浦の住民も、景観なぞ観光の誘致材料であり、ごく限られた経済的価値しかないという意見が大半でしょう。それよりも、生活の利便性および工事による利益が優先されるべきと考えているようです。余所者は口を出すな・・・との姿勢も感じられます。いまさら貴重な景観が埋め立てや架橋によって喪われる、と聞かされても景観だけでは食っていけないとの本音もあるようです。  
確かに、鞆の浦の一部は観光資源として整備されてはいますが、これはかつての風光明媚にして瀬戸内海では最高最良の港ではなくなっています。はっきりいえば、歴史的な価値を持った鞆の浦は死んでしまっています。今そこにあるのは観光地「鞆の浦」であり、亡骸なのです。埋め立ても架橋も、だからこそ住民の間から出てきた「悲願」といえます。同様の、かつての伝統的な風景の亡霊の上に、多くの観光開発が強行されてきたのです。

▼景観破壊の現実
  かくして、古都京都はいうにおよばず、古い江戸情緒を残していた東京下町などの都市から、農村、里山、山岳地帯にまで、半世紀以上に渡る開発の猛威が荒れ狂いました。山は削られ自然林は伐採植林され、海は埋められ人工物で固められました。町も村も様相は一変しています。美しい国土の大半は、破壊し尽くされたのです。ほとんどの人々はそうした破壊に、心を痛め、嘆きの声を上げたとしても、その動きを本気で止めようとはしませんでした。
  そこには高度経済成長時代に、すさまじい勢いで進行した経済開発による巨大な利益および利権がありました。同時に、江戸時代から続く日本の伝統的な習慣や風習、風景などを劣等視する偏見が、さらに洋風近代化による経済性、利便性、快適さへの信仰が根強く続いています。生活様式も、町よりは田舎ほど近代的な洋式の台所、洗濯機やガスコンロ、水道、さらに自動車などの導入に熱心でした。それまでの歴史的景観を保持してきた地域コミュニティーの解体が、景観破壊に拍車をかけたのです。

▼土建利権の暴走
  さらに、地方の道路を中心とする公共事業の多くは、地域の利便性、経済性に利するという理由を上げて、建築業者への権益・利潤を優先する巨大システムに依拠しています。この土建利権制度が、国家的規模で地域に建設ブームを過熱させてきました。自民党を中心とする保守政治の政治基盤は、道路族と建設業の利権連合体なのです。
  地方自治体首長・議員ら政治組織、官僚、建設業者ら3者複合体による利権システムが地方政治を牛耳ってきたのです。国政もその延長上にあります。この巨大な公共事業を道路税などの聖域化により、国家予算はもとより地方自治体の累積赤字を拡大している元凶ともなっているのです。不景気なさなかの歳入不足による財政難にもかかわらず、道路などの公共事業が堅固に維持されているのも、この理由からです。
鞆の浦の架橋・埋め立て計画も、利便性優先の建設利権分配の目論見でしょう。鞆の浦に限らず、各地で地域住民と自治体首長らとの対立をもたらしている大規模公共施設の建設計画も、同じ構造を持っているはずです。建設事業として架橋・埋め立てが強行されれば、鞆の浦という観光地すらも死亡宣告が下されるでしょう。そこには品位も叡智も誇りも皆無の、みすぼらしく平均的な日本の風景がさらに続くだけなのです。

▼景観は国民財産
とはいえ、歴史的な景観地の住民が、自らの利益保護あるいは拡大を理由に、地域の貴重な景観を損なう権限が無制限かつ自由にあるという主張は、通りません。歴史的に優れた景観は、民族あるいは国民共有の財産です。観光地として多くの見物客を誘致するのであれば、なおさら観光資源としての景観保全はその地域の責務であります。
金子一義国土交通大臣が「国民的合意」が必要と述べ、架橋認可を見送る方針を示唆しています。その背景として近年、観光立国への施策の一環として、伝統的な景観の価値を国家的な資産として再評価する動きが強まってきました。観光地の住民や外部からの資本が、貴重な観光資源である景観を台無しにするような乱開発を繰り返してきたことに、苦い反省があります。
その反省に立って、地域ごとの特徴を生かした景観保護条例などを制定する動きが全国的にでてきました。こうした条例を制定することが、乱開発を防ぎ、外からの資本が貴重な景観が損なうことを防ぐための必須条件です。そのためには地域ごとのコミュニティーの再生と強化がかかせません。次の世代に美しい国土を引き継ぐのは、こうしたコミュニティーの債務なのです。
過去半世紀以上のわたり失われた景観や風景を取り戻すには、今世紀の全期間を通じて長期的な課題となるでしょう。少しずつ地域の住民が中心となって手直ししていかねばなりません。利便性とか経済性ばかりを求める欲望から、古くて良いものを大事にする心がけへの切り替えが、求められています。   

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