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zoom RSS 超豪華列車の終着駅 リッチビジネスの暗雲

<<   作成日時 : 2017/03/18 23:00  

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JR九州の「ななつ星」に続き、JR東日本は今年5月1日から「四季島」を、JR西日本は同6月17日から「瑞風」と名づけられた超豪華な寝台観光列車の運行を開始します。いずれも工芸技術の粋を結集した内装設備と洗練されたデザインの外装が呼び物。破格の高額で提供される極上の「おもてなし」が、富裕層の人気を集めています。リッチビジネスの成功例として、クルーズ船や豪華旅客機から宇宙旅行まで続々と追随するようです。一見おめでたいかぎりの贅沢三昧といえますが、果たしてそれでよろしいのか。小さからぬ疑義を感じています。

現在、世界的な貧富間の資産および所得の格差の拡大が進行中です。世界の超裕福層は固定化するとともに少数化と肥大化が重なってしています。贅沢ビジネスは超リッチ層を顧客として、収益性の高い優良サービス業かもしれません。しかし格差拡大は、さまざまな社会病理を生み出すとともに、その是正および改革は、今や緊急の世界的な課題です。

世界一周の船旅とほぼ同額の料金を4日間の豪華列車の旅に費やすことができる人は、この国でも1%未満に限られるでしょう。ビジネスとしては成功しても、大威張りできない難点がありそうです。格差の固定と拡大を前提としたリッチビジネスには、厄介でうとましい暗雲を感じます。その問題点および将来について、いささか論考します。


△貧富の格差拡大と固定

ほぼ半世紀前に「贅沢は素敵だ」とのキャッチコピーが話題となりました。戦時下の標語「贅沢は敵だ」をもじったもので、高度成長期の世相の気分を代弁していたといえます。素敵な贅沢は高度経済成長の黄金時代の産物でした。しかし21世紀の現在、成長期を支えた中流・中間層がやせ細って崩壊しかける一方、お金持ちと貧乏人との格差拡大に分離固定化により、深刻な階層分裂の様相が深まっています。

この国に限らず世界的に俯瞰すれば、貧富の格差がこれほど危機的に拡大した時代はありません。所得および資産の著しい隔絶は、21世紀の世界的な社会病理です。問題は貧困者が数世代を通じて固定され、貧しい子どもたちが教育就職の機会が損なわれていることです。一方富裕層は雪だるま式に富が富を生み出す一方、タックスヘイブンへの資産逃避などで課税を免れる仕組みがあります。超リッチ層は、その財力により世論操作など自己正当化の防衛手段も多様にあります。

世界の大富豪トップ1%が独占する富の総額は、残り99%の人々を上回るといわれています。自由主義的な市場経済至上主義を掲げるグローバル化の暴走が、この元凶でしょう。そのうえ世界人口の約半数、日本では約2割の人々が相対的な貧困に瀕しています。貧困だけではなく孤立無援の危機的状況のなかで、飢餓に直面する人も増えています。内戦や政治的迫害、天候不良や旱魃などの天災が、貧困層を直撃している地域では、さらに状況は悪化しているのです。実際、中東アフリカ地域では数千万の難民となり、流浪のなかで飢餓や疫病、さらに組織的迫害や暴力により命を落とし、苦難にさらされています。

苦難の実情は情報通信ネットにより、即座に世界中に報道され伝達されています。生々しいいリアルな映像として伝わるのです。それだけに、かくも多数の人々を苦しめている貧困や飢餓、迫害に対し、もはや無関心をきめこむこと、あるいは無視することはできなくなっています。この小さな地球の上に今直ぐここにある悲劇であり危機だからです。

地球規模で社会、経済、科学の進歩にもかかわらず、大規模な貧困や飢餓に武力紛争などによる悲惨な状況が未だに克服できていないのが、世界の現実です。それは、現在の文明の形そのものに大きな欠陥があるのではないか、との重大な危惧が生じています。輝かしい近代化の成果ばかりが注目される陰で、さまざまな社会病理が深刻化しているのではないか、との疑惑です。欲望の肥大を極限に推し進めてきた近代文明そのものが、巨大な病根を抱えてきたのでは、との筆者の問題意識です。

この問題に取り掛かる前に、贅沢というものの歴史的起源と役割を考えてみましょう。

△王侯貴族のレガシー

古代文明が栄えた時代から、支配階級は伝統的権威あるいは武力を駆使して財宝資産を略奪し集中蓄積していました。その富により彼らはとてつもなく広大で豪壮な宮殿城郭や園地や霊廟などを築きました。ギザのピラミッド、バビロンの空中庭園、始皇帝の阿房宮など、その時代の黄金期を画したのです。君主や皇帝らは、豪華絢爛たる儀式や祝祭を通じて、贅沢さそのものを見せびらかしました。

夢のような華麗で豪奢な暮らしぶりは、地上における天上の楽園を実現することを意味しました。自らの支配や権威を絶対化するとともに正当化できたのです。並外れた贅沢さは、支配者の権威や神聖さに相応しい当然なこととして、承諾され認知されました。超越的な権力の華美さは、天が授けた支配権の真実性を裏付けたのです。力ばかりでなくその豪華さにより、臣下平民らからの賛美と服従をかちえるのです。より巨大な建造物や装飾物を見せつけることが、より強固な支配権を確立し行使するための決め手でした。

繁栄を極めた王朝・帝国はいずれも、高度に文明を発展させる功績がありました。文芸や建築などにきわめて高い芸術性により、文化遺跡として後世に大きく貢献しています。現存する古代遺跡は観光資源として、外貨獲得にも役立っているのです。

しかし王侯君主らの贅沢は、諸刃の剣でもありました。順調な平和と豊作が続く安定の時代から、洪水や旱魃などの自然災害や反乱、伝染病、異民族の侵略などの危機状況になれば事情は一変します。特権階級に対する民衆の怨嗟や怒りは内乱や革命を引き起こしました。特権階級の支配体制はたちまち滅亡という悲劇が繰返されたのです。

フランス国王ルイ14世によるベルサイユ宮は、宮殿建築の理想としてもてはやされました。しかし、孫のルイ16世の危機の時代に転じるや、その贅沢振りが民衆の反発を招き武装蜂起をもたらしました。過激な革命政権は王侯貴族らをつぎつぎとギロチンにかけました。贅沢は支配体制の維持には必ずしも役立たなかったのです。むしろ貧しく虐げられてきた人民の間に怒りや妬みを蓄積していました。

同時に「権力は腐敗する」の箴言の通り、行き過ぎた贅沢や奢侈は弛緩や廃頽をもたらしかねません。そのリスクに無縁であった支配者はほとんど例外でしょう。ルネサンス期フィレンツェのメディチ家や清朝の乾隆帝のような文化的な洗練と鑑定力を備えて、文芸学術を擁護し育て上げた王侯は、まったくの稀有の存在です。

贅沢さが持続し文化的遺産となるには、権力者自身および支配の構造に特別な条件が欠かせないと考えています。贅沢を享受するには、それにふさわしい君主帝王自身の個人的な判別能力あるいは教養やテラシーが不可欠です。ダヴィンチやラファエルのような天才を見出して支援して名画を入手するのも君主の贅沢なら、殷の紂王のように酒池肉林に溺れるのも贅沢なのです。高度に洗練された贅沢体験とは、不適格者にはまさに猫に小判となります。あるいはハダカの王様にもなるでしょう。現代の権力者や富豪が、高度に洗練された文化の担い手になれるか、あるいは天才たちを見出して支援することは、はたして可能でしょうか。

最高権力者が贅沢の奢りや堕落から免れるには、なんらかの特別の文化的仕掛けが不可欠でしょう。側近から諌めの助言も欠かせません。極めて洗練された文化的な側近やキュレイターの存在も必須条件かもしれません。

華美で豪奢な宮殿や城郭の一角に、質素で清貧な礼拝や瞑想の場所を設けることも、彼らの役割です。日本の茶の湯の社交場としての茶席も、同じような機能がありそうです。いずれも精神の均衡を回復し、権力行使にともなう危機をきりぬけるための必須的な装置であり、時空間であります。

贅沢を楽しむ権力者には、荒野や森林に質素倹約を旨として修行する隠者や聖者・放浪者の存在も大きな価値があったはずです。反権力、反贅沢の清貧の教え、あるいはお告げを取り込むことにより、王侯君主らの奢侈を浄化するという機能が期待できました。質素で朴訥な貧者に寄り添うことこそ、反権力の蜂起暴動を封じ込める手段でもありました。そこには原始の野生への回帰という、対極的なもうひとつの贅沢もありました。

古代文明の成熟期、紀元前400−500年あたりから、砂漠や荒野、あるいは密林や岩山などにこもって瞑想する反文明思潮ともいうべき動きが世界のいたるところで生じ始め、その後の世界に拡大していったのではないか。これが本論の第一の仮説です。

△荒野森林からの清貧思潮

公然とではないにしても、反文明と反権力をすすめ贅沢や奢侈を戒める人々は、歴史上世界各地に出現しています。かれらは都会や村落など人塵から遠くはなれた荒地や砂漠に彷徨し、深い密林に隠棲して瞑想する聖人や仙人、預言者、修行者、放浪者らです。あるいは世捨て人や隠遁者の系統です。世間の俗塵から逃れ、日常の集団生活から逸脱して、孤独と清貧を愛し無人地帯をさまようのです。

彼らのなかには、迫害や追放流刑など伝統的な集団組織あるいはコミュニティーから排斥された者もいます。また自ら選択して放浪や出家隠遁の生活に転じた人もいます。贅沢を排し清貧を鼓舞する人々は、少なからず高度に文明が発達し、あるいは波及してきた地域の周辺にかぎり出現してきました。かれらの特徴の一つに「反文明」という基調傾向があります。文明およびそれを発展させてきた人間の欲望や営みに対し、その腐敗や逸脱、行き過ぎを厳しく批判し戒めるのです。

彼らは、文明以前の原初的自然のなかで自由な自給自足の採集狩猟の暮らしを「桃源」の理想として掲げました。そこには、文明による農耕牧畜など経済活動の拡大侵害により原始生活の基盤を破壊され放逐された未開人=自然人への愛惜と親和あるいは郷愁があります。それは農耕文明以前の数十万年にわたる先史時代からホモサピエンスの遺伝子にくっきりと刻み込まれた生活慣習に由来しているはずです。当然、彼らは人工的な都市の汚濁や混沌を忌避し、強権支配による集団的な組織暴力に恐怖するのです。

しかし、完全に文明社会と断絶したわけではなく、その周辺にあって施しや正しさや救いを求めるなど、ある種の社会運動を形成してきました。そのなかには新たな宗教や哲学の始祖となって文明世界で教団組織を作り上げるなど、精神世界の歴史に名を残す教祖らもいました。あるいは詩人、絵師、芸人、語部伝承者ら文化的な遊芸者の系列があります。またあるいは、文明の中枢に参画し、その指導的な首脳に上り詰めた天才もいます。

文明の大いなる発展には、文明をもたらした権力集中への反定立的な理念が不可欠であったと感じています。つまり原始の自然状態である「野生の思考」がそれです。あらゆる異端者、アウトサイダーたちが真っ先に掲げてきたのが、原初の宇宙自然に開かれた生命とその持続保全へ直観的な思索と想念でした。自然主義や桃源への憧憬、生命の讃美などひっくるめて「野生の思索」としておきましょう。

しかし、近代の欲望社会は「野生の思考」を喪失しているように感じています。むしろ「野生の克服」から「野生の収奪」へと極相を呈するようになっています。反文明とのバランスを失った近代の社会制度は固定化され機能不全に陥っています。格差拡大、資源浪費、暴力依存、生命軽視などさまざまな社会病理を拡大中です。近代という制度や組織は野生の喪失とともに、柔軟性や転換能力を失って硬直化し内部崩壊し始めているのではないか。これが本論の第二の仮説です。

その元凶となっているのが地球上にさまざまな分断と孤立・非連続の障壁をもたらしている「近代国家」ではないか、と感じています。国家の支配機構とそれを取り巻く既存特権層による制度の固定化が、様々な緊急課題への取り組みを阻害し、根源的な社会改革を阻んでいる元凶ではないか。同時に、肥大化した近代国家はIT革命によるネット社会化現象があいまって、「ポスト真実」的な内部崩壊しているのではないか。格段と劣化と衰退に未熟化と空虚さを深めているのではないか、と危惧しております。

「近代国家」という病気

「英国の独立を」を叫びEU離脱を決めた人々、「米国第一」に賛同しトランプ当選をもたらした人々に共通するのは、強い被害者意識をともなうナショナリズムです。テロの恐怖に怯えて移民や難民を拒否し、異教を攻撃するにも、ナショナルへの依存と信仰に由来しているように感じています。理知的な理解と判断よりも興奮や熱情をともなう感情的な選択が先行している点でも共通しています。さらに進歩・成長・競争・勤勉などの近代化への通念的美徳に固着している保守的体質を共有しています。そしてどの美徳も、無制限の欲望を助長する悪徳でもあるのです。そのような人々にとって近代国家とは、超越的な善性を具現する理想的な「既存制度」とみなされてきました。愛国こそ、あらゆる価値に勝っているのです。「愛国無罪」を唱えて、悪人の最後の最高の避難所であり隠れ家となるのが愛国です。

しかし実際に、膨大な人員と予算と組織を擁する国家の現実は、もっとも良好に運営されていたとしても、国家の理想型が実現できているわけではありません。むしろ逆に、地球上のほぼ半分の国家は重大な機能不全状態となっている危機国家です。その半数は国家として存続するという基本的な統治機能を喪失している「崩壊国家」であります。理想に近い形で運営できているのは先進国を中心とする20数カ国にすぎません。しかもそのほとんどが、内部に深刻な欠陥や問題を抱えています。

近代国家による保護や支援の恩恵を十分に享受できている個人や家族・コミュニティー・組織体と、そうした恩恵から見放され孤立分断されている個人や家族の二極化が、地球規模で保持され拡大しています。特に10代から20代の若年層に、この二極化が深刻です。

そこには効率や利潤優先の近代的原理から排除され、遺棄されてきた「問題をかかえた子ども、大人、老人」が、失業や生活困難、貧困に差別偏見、虐待や搾取にさらされて孤立し迷走している実態があります。特に子どもや若者にその家族が直面している「社会関係の資産と機能の喪失」が深刻な問題となっています。基本的なコミュニケーションから人間関係の構築する能力、社会的な価値を作り出し見つけて獲得する能力に問題を抱えて伊いるのです。これが過激派思想の温床であり、テロリストの誘致の草刈場ともなります。

社会の分裂と崩壊をもたらしている貧富格差の拡大は、すでに単一国家の内政問題として対処するには、巨大すぎる地球規模での課題となってしまっているように感じています。主権独立国家が独自に内側だけで単独解決するにはあまりにも肥大した社会的病根といえます。地球規模での再統合と再分配には、世界的な叡智と努力がもとめられる時代にとっくに来ているのです。それは温暖化など環境問題や資源保存、組織犯罪や暴力的紛争などの問題と同等に、いやそれ以上に優先して取り組むべき地球人類の課題であります。

このような課題に直面している地球上で超豪華列車を走らせこれを享受するひとびとに、もしあるとすれば将来の歴史はどのような評価を下すのか。その答えは既に明白になりつつあるように感じています。


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